有限会社ヤマト字彫工業

墓石、記念碑、表札や看板。
私たちは、切り出され、磨かれた石に、
さまざまな文字を彫ります。

交通アクセス
有限会社やまと字彫工業
〒309-1232
茨城県桜川市大曽根888-1
TEL0296-58-6899
FAX0296-58-5202

父母の時代

父母の写真
父母の写真。昭和50年代、工場前で


工場の窓から見える加波山

昭和43年
高度成長期にあたる、あの昭和の時代。
小さな山のふもとの、田んぼに囲まれた自宅の一画に父は字彫だけを専門に行う工場を建てました。
この地方の石材産業の勃興期です。
まだ、字彫専門の工場は、真壁・大和地区に3社くらいしかありませんでした。

その当時の字彫の作業の工程は、現在からでは考えられないような手間のかかる仕事でした。
書家に書いてもらった文字を石に写すことから始めて、全部手仕事の工程が幾段階もありました。
コンピュータもプリンターも自動カッティングマシンもありません。
トラックで運んでくる石屋さんも、彫ってもらう石を降ろすのも運ぶのも人力で重労働です。
作業開始から納品までとても時間がかかりました。

字彫は、製品になった石の最後の仕上げになる仕事なので、石の出来上がりが遅れれば遅れるほど、どうしても完成を急がされます。
あのころは、特に、春と秋のお彼岸の前 新暦と旧暦のお盆の前など工場は夜中までゴォォーと石を彫る音を響かせました。
おかげでわたしたち子供(姉弟2人)は野放し状態。
学校から帰ってきて眠りにつくまで、毎晩、字を彫る音を聞きながら、両親の働く姿を見ながら育ちました。

山からは石を切り出す、ダイナマイトの爆発音が聞こえ、 工場では石を切る音が響き、トラックはどんどん製品を運び出し、両親も若く、大人も活気づいて明るい顔をし、近所には子供がいっぱいいました。
わたしは、北関東の静かで緑豊かな農村が、騒がしく好景気に沸く石材産業の町に劇的に変貌するまっただ中で大きくなりました。

社屋入口の看板
社屋
従業員とともに

そして現在

 両親は、当時石材業の隆盛に乗じて、大規模な設備投資をし、従業員を増やし、営業をかけ大量に字彫の仕事をさばくなどという野望も才覚もなかったらしく、コンピュータの時代になって、字彫の工程が飛躍的に簡便になったために、一気に増えた同業他社の
なかで、気がつくと、昔ながらのお得意さまを大事にして、小規模でコツコツやっている職人かたぎの字彫屋になっていました。平成の世になった現在でも、少人数でできる限りのことをしています。

うちのモットーは、
期日を守る。
一文字一文字を大切にする。
「100年先にも残る仕事」に畏れを抱け。
です。

現在、父は10年余におよぶ病気療養中で、その間、工場をひとりで切り盛りしていた母が平成19年に急死し、急遽、長女があとを引き継ぎました。

いまも仕事が続けられるのは、両親が長年にわたって築き上げた信用のおかげです。
わたしができることはこの信用を守っていくことです。
ちっぽけな工場ですが、 従業員一同まいにち一生懸命やっています。


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